そして何より特筆すべきは、レイアウトを採用したことで前後重量配分を50:50に近づけ、鋭く素直なステアリング応答性を実現したことである。
それでも直線での速さは他を圧倒し、1976年のル・マン24時間耐久レースではJohn Greenwood氏がドライブするコルベットC3が時速362キロを記録。
😔 オプションにワークス・ストックカー用エンジン『L88』を搭載したZL1が登場し、カタログスペックで430馬力とされていましたが、これはレースガソリン以外で走らせることができない本格レースエンジンだったため、実際は500馬力あるといわれています。
6ではオプション扱いだったものの、からは通常ラインアップに加わり、逆に当初の標準だった6気筒エンジンは蹴落とされる格好となった。
これらはコルベットC3だけに言えることではないのです。
このエンジンはオプション設定という形でカタログに記載されることとなったが、コルベットの新車1台分ほどの高額の追加費用が必要だった。
ということで、C3コルベットは歴史上、年式を追うごとに魅力が減っていくと思われがちだが、本国では年々販売台数を伸ばしており、マニア的な目線で見ればデザイン的な魅力減が叫ばれるなか、単なるスポーツカー以上のアメリカの「星」として、実際には存在価値を高めていったのである。
☺ オプション設定にはグラストップが追加されるが、これはコルベットがスポーツカーというより、長距離を高速で移動することに主眼を置いたGTカー的な方向に寄ったものであることを示していた。
「アイアン、アイアン」とみな口を揃えていうが(もちろんカッコイイ)、どっこい後期型にも今だからこそ伝わるコルベットとしての「華」が見えるのである。
これはC2型コルベットに搭載されていたL88ユニットの発展型で、エンジンヘッドのみならずエンジンブロックまでもアルミ化されたスペシャルエンジンである。
☢ コルベットC3は魅力的である. しかもめちゃめちゃロングノーズであるからこそ、ドライバーは後輪軸の上に座っているかのごとき状態で走らせる。 実際の生産は秋頃から開始され、日本での販売はから行なわれている。 特に360馬力仕様は事実上のレーシング仕様で、足回りがレースを前提として硬くセッティングされており、公道での走行には適さないものであった。
17もしこのクルマをベースにレストアするとすれば、もちろんフル純正の完全なC3が造れるだろうし、そういうベースとして考えても非常に魅力的な1台だろう。
そんな中、インパクトのあるボディーラインのこの1980年コルベットC3コブラボディーに惹かれてしまった。
🔥 このエンジンはオプション設定という形でカタログに記載されたが、価格が非常に高額だったため、ごく少数の生産に留まることとなった。 名付け親は開発担当者の一人である ビル・ミッチェル () で、これは彼がを嗜んでいたことに由来するといわれている。 デザインの元となった XP-87スティングレー・レーサー 1959年 スティングレイレーサーのスタイルを基礎にしてデザインされた C2型コルベットは、原型となったレーサーモデルの名を取って コルベットスティングレイ(綴りはSting Ray)と呼ばれた。
4以降、ドーピングのごとくパワー至上主義路線を貫くようになり、200馬力前半だったパワーは、最後期には300馬力オーバーに達するまでになった。
スティングレイ(Stingray とは魚のアカエイの一種である。
空力にも優れたC3は、コルベットの歴史においてもまさに「絶頂期」だったのである。
また、1971年にマスキー法が施行されたことにより、ハイオクガソリンからレギュラーガソリン対応に変更。
💢 サスペンションは、前ダブルウィッシュボーン式、後ドディオン・アクスル+トレーリングアームが採用された。 C6型 コルベットのリア 曲面で構成されていたC5型と比較し、よりエッジの利いたラインで構成された力強いスタイリングとなった。 非常に状態の良い車両だ。
トランスアクスルも引き継がれており、前51:後49という、スポーツカーとして理想的な前後重量配分を保っている。
恐らく納車整備で足回りのブッシュ類を交換していることと、装着しているコニクラシックのショックによるものだろうと思われるが、すでに34年前の車両がこれだけ安定して走るのだから十分なレベルといっても過言ではないだろう。
7リッターV8のみに戻っており、さらに翌年の最終82年にはキャブレターが廃止されインジェクションとなるから、後期型における人気は80~81年の5. Reference:. ZR-1は405馬力までパワーアップ。
フロントミッドシップ化されたことによりスポーツカーとしての運動性能は高く、販売後は数々のレースに出場していました。